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道民教ブログ

道民教のウェブページに付属する教育関係の方々、主に教員の方々の言葉を直接伝えるブログです。ちなみに管理人の羽二重餅は、教員ではありません!

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こんにちは~
へろへろの羽二重餅です。
でもへろへろでも満足気味です。
8月の分まで7月に書いたよ!と言いつつ再登場です(*-∀-)ゞ

8月の1日2日で、道民教の合研も終わったようです。
参加していなかった私はそれの感想が掲載されるべく送られてくるのをワクワクしています、ハイ。

個人的に今回の合研で気になったタイトルは二日目の分科会の

不登校の子どもたちとともに
◆教室外での子どもの学びと成長

障がいのある子どもの教育
◆特別支援教育と子どもたちの発達を考える

です。
中身はみて見ないとわかりませんが、自分の身近においてこれが気になるタイトルなのです。


では話題を変えて(`・ω・´)ゞビシッ!!
私自身は道民教の合研の感想を書けないので別の内容を。

そして8月3日の日には、私も参加している自主夜間中学、札幌遠友塾において、全道4か所の自主夜間中学が集まったフォーラムが行われました。

公開授業が行われ、意見交換、懇親会などなど。

前回が釧路の夜間中学主催。
今回が札幌の夜間中学主催。
来年は釧路の夜間中学主催でやるぞー!(お金の問題さえ片がついたら!)
と意気込みばっちりです。

このまえ某所の大学生と、「国語はあいうえおから、数学は1+1からやってる自主夜間中学があるんだよ」と話をしたら「なにそれ!」と言われました。
夜間中学の認識ってそんなものなんだなぁ、まだ。

今日の私はふらふらです。
内臓が休憩を求めております。

相次ぐ懇親会や交流会、ハイカロリー食品&アルコール飲料!
年末でも年度末でもないのになんじゃこりゃ!
って感じです。

昨日も、もちろん全道4か所の夜間中学の方々が集まった場で懇親会が行われない訳が無いわけで。
ほっかいどーはでっかいどーに散る4つの夜間中学。
普段気になっていてもそんなに交流のできない方々と出会い交流するチャンス!
と参加してきましたので……。

人生で初めて、ヘパリーぜを買いました!

でも、それもヘパリーゼドリンクめっちゃ高いのでやすい錠剤のほう……(笑)
効いてるのか効いてないのかわかりません(´・ω・`)

参加表明した懇親会二件。
呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!てな感じでお話し(しにいくとほぼもれなくアルコール飲むよね!)が4件。
合わせて6件、これが一週間のうちに。

人生初体験レベルのアルコール密集週間でした。
突発も多かったんですが、確実にあるな、というのが3件決まった時点で、会議のあと飲みにいかない?と誘われたのは、肩を組んで歩きながら居酒屋の玄関前まで行って帰ってきました(笑)
お財布も内臓も限界に((´∀`*))ヶラヶラ

すべてのアルコールの席には親睦を深める、交友を深める、とそういった意味合いがあり、自主的に外部にアクセスすることが困難な自分に対して、受諾するという受け身でもいいから外に出ていこうとするための、それは大切なプロセスです。
(もちろん普段はアルコールの席じゃない事のほうが多いですが!)

呼ばれる、応える、ということ。
そしてまた、人への恐怖に対しては、人となりを知ることで薄まる部分も大きいので、酒の席でアルコールで私のテンションを上げて、あんまり親しくない人にも話しかける、それによって相手の人となりを多少なりとも知ることで次に出会った時の恐れが薄くなる、という大事な効果もあります(これは普段出入りしている場所での飲み会限定ですが)。

ウソみたいに飲み会ばかりあった一週間も終わりました。

予定表を見ると、あと二~三カ月はアルコールを飲む予定がありません。
二か月の空白に分散してくれたらお財布にも内臓にも優しかったなぁ……というゼイタクな願いでしょうか(笑´∀`)

フォーラムがあったんだよ!
参加してきたんだよ!
と、思わせぶりな前置きをしつつそれには触れず。
明日明後日は内臓に優しいものを食べようそうしよう……
あ、また歯医者行かなきゃorz

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羽二重餅(無所属)

どうも羽二重餅です。他のブログ投稿者の方々のように書くのなら、ああなるのかな?と思い、上のように書いてみました。
次からは普通に描きます。


明日明後日で、道民教の合研があります。

最近、このブログも私の記事が多くなり……。
道民教は、教師のことを絶対先生なんて呼ぶものかバーロー!
と思い。
その思いが軟化してきた今でも先生という単語にアレルギーを持つ私が。
教師との出会い直しを重ねている場の一つでもあります。
なので是非とも、こういう場面で様々な先生方のブログ記事をいただいて掲載し

こういう先生も居るんだよ、こんな先生もいるんだよ!
日頃どんなことを考えていて、何を思い、時には子供たちに対する姿勢にどんな迷いを抱え苦悩を思い。
でもやっぱり大好き!とか、それでもがんばってます!

とか、そういう姿をチラ見せしてくれるといいなぁ、と思っているのですが。
そういう姿をチラ見せしてくれるといいなぁ、と思っているのですが。
(↑大事なことなので二度言いました)

なのでこれを見ていて合研に参加した教員の皆様方。
どうぞ感想をお寄せください。

↑本音
↓言い訳


前の記事で書いた学会が終わった後で、片付けしながら教師の方が呟いた言葉があります。

「院生の参加が少ないのよねぇ。」

と。

「たったの二千円。それが払わないんじゃなくて払えないのよね~」

というニュアンス。

私は院生じゃないけど、そのたった二千円が払えない人の気持ちのほうがわかるほうです。

今回、道民教の合研にちょっと出て見ない?
紹介したい人もいるし、合研をみてみてそれに対する感想をブログに書くとか、と。
と言う風にお誘いいただきましたが……。
某学会の終了後に教師の方が呟いていた院生が如く。
その二千円が出せない!!
という状況であります。

サイキンノワカモノハビンボウナノデスヨ(←と、若者を語るときの定型句でくくってみる)

私は自主夜間中学や、その卒業生の学習サークルに、ボランティアスタッフとして参加していますが、地下鉄沿線ではないため交通費だけで千円かかるのです……。
平均月4回+スタッフ会議2回くらい。

そして、月一掲載8月の分を7月31日に更新し、私はこれから歯医者へ行ってまいります。
十数年前の銀歯がずれてるからとレントゲンを撮ってみたら、根っこ溶けてきてるよ~、と言われ。
全力で掘り返すことと相成りました。
掘り掘りの治療で7000円、銀歯を入れて3500円、それが終わればさらにもう一か所、やはり十数年前の銀歯をもう一か所剥がし、銀歯に隠れて見えない虫歯を掘り掘りし、銀歯をかぶせ直して……orz

歯科治療、目安だけでも1万超えましたねー((´∀`*))ヶラヶラ
さらに別の病院で採血していて今結果待ちです。
これでさらに1500円!

2着でローテーションしているズボンが危機を訴えているのでもう1000円!
(さすがにズボン履かずに外出はできない!)

ショルダー系に荷物詰め込むと肩の神経が圧迫されて腕が痺れるんです。だからリュックが欲しいと2年も前から壊れたリュックの代わりを探していてやっと買いました6割引きで5千円!(きっと丈夫で長持ち)

ということで、合研の参加費(+交通費)がお財布から出ない言い訳完了!
だって空っぽだもの(笑)

↑言い訳
↓だけどマジメ

言い訳、とお茶ラケてみましたが結構真面目に。
出しどころはやっぱり医療費が先で、衣食住がそれに続き、私の場合はそれに交際費、とつなぎます。

もう学生時代は終わったけど、根っこの所でまだ精神的なひきこもり状態を抜け出せていない私がすごく気にかけている事が、人との関係を絶たないことです。
数年前の私の目標は、遠友塾という自主夜間中学に三年間通いきることでした。
それがものすごいハードルでした。
それをクリアした今の目標は、ひきこもりに戻らないこと、です。
遠友塾は、三年で卒業なので、卒業と同時にそれは終わりました。
でも、ひきこもりに戻らないこと、という目標は、終りが見えません。

大丈夫でしょう、と言ってくださる方もいますが、私自身がすぐにでもひきこもれる事にすごく自覚があります。
更にいうとあまり積極性も無いので(不登校になる前の私にはあったと思う)、ほっとけば確実にひきこもるな!
と確信があります。
なので消極的な、受け身の対策ですが、誘われることがあればできるだけ行く。
という方法で私は私を無理やり外に出しています。

なので今回も、「合研参加しない?」と言われたこれに、日頃であれば「はい」と答えた物と思われます。
興味はあるのです、とても。でも、行きたいとは言わない。
いかない? と言われてやっと考える。
面倒なやつですねぇ。

↑おわり

では歯医者行ってきますε=ε=ヾ(●´Д`)ノ
こんにちは、羽二重餅です。

今朝ご飯を食べながらテレビでニュースを流していたら、また学生の自殺があったそうですね。
13歳だったとか。
クラスにいじめがあったとか、教師が自殺をあおる発言をした、とか流れていました。

昨日、一昨日と教育に関する学会がありまして。
私は会員ではないのでボランティア枠でお手伝いすることでそれを見てきたのですが。
二日目の自由研究発表の分科会の中に、記憶に触れるものがありました。
不登校経験者の発表です。

書きたいところは一部なので全体像は省きますが、今朝がたニュースを見ていて思い出した部分があるのです。
発表者の方の発言でした。
不登校当時から何年もたっているから言えたのかもしれません。

「不登校してよかったこと、ありました?」
という質問に
「先生にもいろんな人がいてダメな人はダメなんだなと割り切れた」
と言っていました。

今なら私もわかります。
自分の担任、当時の学校の学校長。
その、言ってみればたった二人の姿だけで私は教師全体、学校そのものに対して不信を感じたんですよね。
でも今は教師との出会い直しもできていて、それが教師すべての姿じゃないのを感じています。

でも、「ダメな人はダメなんだ」と分かっていても、それが全部で全体ではないとしても、学生側からはぶっちゃけなーんにもできないんですよね。
ダメな先生を前にして、「ふっ、ダメな先生に当たったもんだなぁ……」みたいな諦観を持ったとしても(というか小中学生の時にそんな諦観をもって教師を見つめる子供とかやだなぁ)教師を変えることはできないんです。
いろんな人がみて、いろんな人が(あるいは同僚の教師までもが)変だよ!? と改善を申し立てる状況でも。
最初にクラスに対して担任が決まるとその制度は強固で、学年の途中では担任もクラスメイトも変更がききません。
もし、ちょっとずらせばきっとうまくいくのがわかっていても。
できません、なのかやりません、なのか。

子どもにできることは
 1、我慢して通う。
 2、通うのをやめて不登校になる

せいぜい二択でしょうか。
ぶっちゃけ選択の余地はない状況ですね。

これにいじめも重なったとしましょう。
教室の中で教員が味方になってくれないと、もう子どもに居場所はありません。

子どもにできることは
 1、我慢して通う。
 2、通うのをやめて不登校になる

どちらも過酷なんですよね。

もう一個、その発表者の方との質疑応答のなかで出た言葉があります。
「学校を離れることで選択することができる」

年齢的に学齢期でなくなり学校から物理的に離れても不登校の当事者のまま。
でも、学校を離れることで選択することができる。

そういう文脈だったかなぁ?
と思います。

でももうちょっと思うんです。
選べるはずの社会に出て、どうしてモラハラやパワハラ、過労などで自殺してしまうのだろうか。
選ぶ力を養う教育が足りないんじゃないかな、とか。
少年期の学校教育って、基本的に選ばせない教育が多いような気がします。
身を守るための選び方を封殺してる。
大人になっていきなり選べって言われても、わからないですよね。

不登校の子どもの事は目に見えてわかるので対策しようと思うでしょう。
実際必要だと思います。
上記に記した二択のうち、学校に通わないことを選んだ子どもの環境も結構大変です。
でも、そこで我慢して学校に通い続けることを選んだ子ども。
発表者の方は「不登校できない子ども」と表現されていました。
できないままに、過酷な環境の中で自ら命を絶ったり、あるいは他者に強制的に絶たれたりしている子どもたちがいる。

私が小中学生だった頃は、学校というのはあまりに大きな社会でした。
そこに所属し続けられないという事はどれほどの罪だろうかと思っていました。
通えて当たり前の学校に通えない私という、普通にさえなれない存在を両親に背負わせることに、酷い負い目を感じていました。
不登校になることが、社会通念的に非難されないことになれば。
不登校になっても行く先があるんだよ、ということを社会的に整備できれば。

不登校になった子どもたちへの対策、社会的な整備が広がることで、不登校、学校に通わないということが負の側面を持たずに(少なくとも今よりはずっと軽減して)学校に通わないということを選べるようになったらなぁ。
間接的に不登校出来ない子どもたちへも手を差し伸べることができるのではないか、と考えます。

命を懸けても選べない私たちを育て上げてきた社会がちょっとでも変わることを、願うしかないのでしょう。
学会に参加して思ったのは、選ばせたい勢力と選ぶ力を奪いたい勢力の水面下の争いでもあったような気がします。

おわり!




読めばワードで3ページ分。
書けば半日。
つくづく、単純に文章を書くという事と脳内に渦巻く何かを考えて練り上げつつ文章にするのが作業としての意味が違うと思います。
みなさん_| ̄|○))オツカレサマデス
こんにちは、羽二重餅です。
ここ最近ずっと天気が悪いですね。
家族でちょっと遠方までお墓参りに行く予定があったのですが、あまりの天気の悪さに中止になりました。
朝からざんざん降りなら行く気もなくなります。
往復一日がかりの距離の場所なら、よほどのことがない限りやはり天気のいい日に行きたい!
そんなものです。

最近とある人に、『今の羽二重餅さんの課題はきっと、過去の開示だ』と言われたことがあります。
つらい時期、っていうのは人皆それぞれにあるわけですが、私はそのころのことを話すにしても、もう別段話すのも嫌だ、っていう時期ではなくなったと思っています。
話すのは別にかまわないけど、勝手に心臓が大暴れするのと涙が出てくるのはもうコントロール外ですが(笑)

話すのは別にかまわないんですが、でも私は基本的に話しません。
不幸な話ってみんな嫌いですよね。
人の不幸は蜜の味、という言葉もありますが……。
そういう人たちも、自分たちの蜜にできない不幸話はきらいなんだと思います。

不幸な話、をしていると「それはあなたがあーでこーでそーだからじゃないの?」みたいに話をかぶせてくる方って、結構いるんですよね。

年齢的には中学生だったころにちょっと事故にあって入院したとき、同室の方々から、学校はどうしたの?
と聞かれました。
あのころはまだ学校に通っていないことに対する認知は今より低かったんじゃないかな?と。
さらに言うと私自身もそれがコンプレックスな時代でした。負い目になっていたころです。

成人はしていたでしょう。でも年若い感じのお姉さんと、おばさんと、あとはお年を召したお婆ちゃんの三人が同室でした。
いい人たちだったと思います。

学校はどうしたの? と聞かれて。
私は、迷いながらも嘘がつけなくて、イジメで不登校だという事を話しました。
彼女たちは私に聞きます。
「どうしたの? どういうことがあったの? 話して御覧」と。

いい人たちでした。
やさしい人たちでした。
ほんの短期間の入院仲間ですが、促されて話してしまうくらいには好意を持っていたと思います。

促されて話し始めたのに、物の数分で「それはあなたがあーでこーでそーだからじゃないの?」と、彼女たちは私に対していじめられる理由を見つけ出しました。

子どもが子どもをいじめる理由として十分なものはあったでしょう。
太っていました。イジメがあったことにも起因するでしょうが恐らく陰気だったでしょう。
さらにそのころは、人に対してどう話しかけていいかわからなくなっていて、大好きな友人に対しても言葉が詰まってしまう日々でした。

そうじゃなくて、そうじゃなくて!
と、私の目には涙が浮かび、そして口をつぐみました。
あきらめました。
やはり話にしてはいけないことだったんだ、と思いました。

私は、私自身に関して以外も、やはり不登校にならざるを得ないというのは不幸な話だと思います。
私自身が不登校になった時には、世間の風や、家族への負い目や、いろんなものが、学校を休んでいてすら私を追い詰めていました。言葉は広まったけど、今でもわが子が不登校になればショックを受けない親のほうが少数派では? と思いますし。
学校には通いたくなかったけど、最初から通いたくなかったわけじゃなくて、やはり世間一般のレールで、レールを踏んでないといろいろ大変で。
だからこそ『○○な人の復帰ストーリー』みたいな話もいっぱいあるんだろうな、と思うんです。
不登校になって本当に幸せだ! なんていう人、居ないとは言えないだろうけど、本当に少数派だと思うのです。

小さい時からずっと、学校に通うふつうを仕込まれているんです。ふつうにすらなれないショック。

話をしたことに対して、私を見て私じゃない誰かの側に立って
「それはあなたがあーでこーでそーだからじゃないの?」
と指摘する行為というのはさぞかし気持ちのいいものなのでしょう。
けっこういますから、そういう人。

でも、そんな理由があったって、それは『だからいじめてもいい』免罪符にはならないと思うんです。
思うけど、そういう方々は『だからイジメられたんでしょ』に持っていこうとする。
ぶっちゃけていじめられた理由なんて、あーだこーだと言いたい方々の言う事程度、少なからず知っています。
でも、『え、だからいじめられたことに対して同意して、納得しちゃうの?』っていう感覚。

私は繰り返すうちに、自分が話をしていて泣いてしまうような、同情を乞うような話はしちゃいけないんだ、と学びました。
不幸な話はみんな嫌い、とそういうふうに。

不幸な話って聞いてて重いから、そうやって話を切り上げちゃうのかなぁ。と。
自分から促しといてそれは失礼だと思いますが。
不幸な話に対して、『こうでこうでこうだったんでしょ、だからこうで、ほら解決』もう話は終わったよね、というのが一つ、不幸な話はみんな嫌い、ということ。
もう一つはその人にとってそういう行動に出られる話題、出られる相手が居るというのはさぞかし甘い蜜なのだろう、と。
私は甘い甘い不幸な蜜になることをやめました。

そうしたら今度は、自分が自分でも「これって結構グロイしドン引きだよねぇ」っていう内容に関してまで、話をしてほしい、聞かせてほしい、と真剣に言ってくださる方にまで、気が付いたら話せなくなっていました。

話しちゃいけない、と思っていても、基本的には話したいんです。
聞き上手な人が人気なのは、みんな話をしたいから、自分の話を聞いてほしいから、ですよね。
私も、話したい欲求はある。でも、話せない。
匿名世界でなら何とかなるかな、と思ってブログやってみたりツイッターやってみたりしたんですが話せない。

すっかり立派で頑丈な堰が出来上がってしまっていたことに気が付いたのは、最近の事です。

どうも、本当は毎月13日担当の羽二重餅です。
え、今日は13日なんてとっくに過ぎてる?
スミマセン、そろそろ13日だな、とか思ってたら気が付いたらこんな日に……。

私は登校拒否(あえて不登校とは言わず)からの教師不信、教師に対して先生なんて呼ぶものか!
と、心に思っていた時期がある私が、教育関連のウェブページを作っていると、10年前の私に言っても信じられないかっただろうなぁ、と。

先生なて呼ぶか!
と思っていたので、今ウェブページを作りながら教職の方々とメールをやり取りすると、なんと敬称を付ければいいものかすごく困ります。
先生、っていうのはすごく無難で便利な敬称なんだなぁ、と思ったり。
もう妥協と打算で使ってしまえよ、と思いつつまだむにゃむにゃと粘ってごねていろいろ試しています。

おかげさまでというか、なんというか。
先生なんて呼ぶものか!
と思っていた気持ちも今はそれなりに薄れてきていているのですが、まだ先生という単語を口にしたときに自分の内心がモヤーっとします。

不思議不思議。

まあ、そういうことを思っているというのに、こういうウェブページを作る事になったので、いわくセンセー達の会議などにもウェブページ関連で顔を出さざるを得ない時もあったり。
その時の緊張感と言ったらもう。


ハフハフ(息切れ)

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