道民教ブログ
道民教のウェブページに付属する教育関係の方々、主に教員の方々の言葉を直接伝えるブログです。ちなみに管理人の羽二重餅は、教員ではありません!
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母は、私に中学高校を通わせられなかったことを、たまに泣きながら懺悔する。
ごめんなさい、ごめんなさい、と、そんなこと言われてもしょうがないのにふと思い出したように、たまに言われる。
楽しい、楽しい、あのころのメンバーと会うのが楽しい! と同窓会から帰ってきて、ふと、ごめんなさい、ごめんなさい、あなたを学校に通わせられなくてごめんなさい、と泣きながらあやまる。
私は、学校に通えなくなったことを母のせいとも父のせいとも思っていない。
そう本心から思って、そう伝えても、その言葉は母の気持ちには響かない。
ごめんなさい、ごめんなさい。
謝られる私はどうしたらいいのだろう。許す、とでも言えばいいのだろうか。何を許すのかもわからないのに。
そして、私に楽しい楽しい同窓会をする機会がもう永遠に来ないのだと思うと、自分が同窓会で楽しい、楽しい、と思いながら帰ってくることすら申し訳ないのだと嘆くのだ。
もっと何かすれば、もっともっと何かしていれば、私は中学に通えて、普通高校に通えていたのではないかと母が悔やむ。
仕事の無い日や仕事あがりに、学校に私の様子を見に行く、教室で、私が誰にいじめられているのか、いじめられないように見に行く、と気焔を吐いた父を止めたのは私だった。
そして、母だった。
止めた理由は二人とも一緒だ。
それをしたら、私が通うのがもっとつらくなる。
でも母は今それをも悔やむ。
あのころ、止めなければ、いや、自分が積極的にもっと学校側に対してがっつり行動していればもしかして。
ぶつかり合う事もあるけれど、でもたくさんの記憶を共有できる同級生たちと、何年も、何十年もたってから、久しぶりに対面して、ああ懐かしい。あのころはああだったね。こうだったね。実はあなたの事をこう思っていたんだよ、ええ、知らなかった!
って。きっとお前も言い合うことができたんだ、出来たはずなのに、と、嘆く。
正直、教師が頼りにならない学校の、あの教室の中で親に何ができたのだろうと今でも思う。
いじめいじめと声高に叫ばれ始めて、いじめ防止法案なんてものまで出てきて、そんなものが出来たってあの教室のなかで私は居ることができないだろう。
法案に基づいて対策がなされたって、私はなされたあとの教室になじんでそこで生活していける気がこれっぽちもしないのだ。
今だって、年間何人の生徒が自殺しているのだろう。
いじめは死ぬまで放置されるか、何とかしようと思った人がいても、改善されないまま結局誰かが死んで、その死んだ子はクローズアップされて問題視されても、生徒が死んだ学校で、他の教室の、他の学年で起きているいじめは、不登校は、それで何かよくなっているんだろうか。
あるいは学校に焦点があたることで当事者に対して学校側が、改善の姿勢を示すために無理強いをして何かが良くない方向に動くことさえあるのではないだろうか。
そして昼間の学校に通えなくなった子に、数十年ぶりと会って、楽しい、楽しいと思える同級生が居ない我が子に、親は何の負い目を感じるのだろう。
私が居なくなったころはもう、あの教室から主犯格が居なくなったからと言って、私にとって戻れるような場所ではなかった。
教師は信を置くに値せず、私は同級生をはじめとした人に対して話しかけ方がわからなくなる、という対人関係をつくるのにとてもとても大変な状態になっていた。
どうしようもなく、私は消えていくしかなかった。
久しぶりに、母に学校に通わせられなくてごめん、とあやまられて今日。
楽しい、楽しい、と帰ってきて、とても楽しかった話をテンション高く娘に聞かせて、そしてごめんね、と謝る母。
ごめんなさい、ごめんなさい、と私もあやまる。
今日一日、せめて眠るときまで楽しいままでいさせてあげられなくてごめんなさい。
こんな日に、私と会話さえしなければ、せめて、対話をしようなどと思わず、あいさつだけ済ませたら部屋に戻っていたら、そこまで母の気持ちを引き出すことなく、今日は楽しいままで終わらせることができたのに。
私がいるだけで、楽しい一日を楽しいままで終わらせることができず、楽しい楽しい同窓会に、楽しいと感じることすらどこかに引け目を感じねばならない母に。
ごめんなさい。
学校に通う事すらできなかった出来そこないで、ごめんなさい。
深夜四時。羽二重餅。
ごめんなさい、ごめんなさい、と、そんなこと言われてもしょうがないのにふと思い出したように、たまに言われる。
楽しい、楽しい、あのころのメンバーと会うのが楽しい! と同窓会から帰ってきて、ふと、ごめんなさい、ごめんなさい、あなたを学校に通わせられなくてごめんなさい、と泣きながらあやまる。
私は、学校に通えなくなったことを母のせいとも父のせいとも思っていない。
そう本心から思って、そう伝えても、その言葉は母の気持ちには響かない。
ごめんなさい、ごめんなさい。
謝られる私はどうしたらいいのだろう。許す、とでも言えばいいのだろうか。何を許すのかもわからないのに。
そして、私に楽しい楽しい同窓会をする機会がもう永遠に来ないのだと思うと、自分が同窓会で楽しい、楽しい、と思いながら帰ってくることすら申し訳ないのだと嘆くのだ。
もっと何かすれば、もっともっと何かしていれば、私は中学に通えて、普通高校に通えていたのではないかと母が悔やむ。
仕事の無い日や仕事あがりに、学校に私の様子を見に行く、教室で、私が誰にいじめられているのか、いじめられないように見に行く、と気焔を吐いた父を止めたのは私だった。
そして、母だった。
止めた理由は二人とも一緒だ。
それをしたら、私が通うのがもっとつらくなる。
でも母は今それをも悔やむ。
あのころ、止めなければ、いや、自分が積極的にもっと学校側に対してがっつり行動していればもしかして。
ぶつかり合う事もあるけれど、でもたくさんの記憶を共有できる同級生たちと、何年も、何十年もたってから、久しぶりに対面して、ああ懐かしい。あのころはああだったね。こうだったね。実はあなたの事をこう思っていたんだよ、ええ、知らなかった!
って。きっとお前も言い合うことができたんだ、出来たはずなのに、と、嘆く。
正直、教師が頼りにならない学校の、あの教室の中で親に何ができたのだろうと今でも思う。
いじめいじめと声高に叫ばれ始めて、いじめ防止法案なんてものまで出てきて、そんなものが出来たってあの教室のなかで私は居ることができないだろう。
法案に基づいて対策がなされたって、私はなされたあとの教室になじんでそこで生活していける気がこれっぽちもしないのだ。
今だって、年間何人の生徒が自殺しているのだろう。
いじめは死ぬまで放置されるか、何とかしようと思った人がいても、改善されないまま結局誰かが死んで、その死んだ子はクローズアップされて問題視されても、生徒が死んだ学校で、他の教室の、他の学年で起きているいじめは、不登校は、それで何かよくなっているんだろうか。
あるいは学校に焦点があたることで当事者に対して学校側が、改善の姿勢を示すために無理強いをして何かが良くない方向に動くことさえあるのではないだろうか。
そして昼間の学校に通えなくなった子に、数十年ぶりと会って、楽しい、楽しいと思える同級生が居ない我が子に、親は何の負い目を感じるのだろう。
私が居なくなったころはもう、あの教室から主犯格が居なくなったからと言って、私にとって戻れるような場所ではなかった。
教師は信を置くに値せず、私は同級生をはじめとした人に対して話しかけ方がわからなくなる、という対人関係をつくるのにとてもとても大変な状態になっていた。
どうしようもなく、私は消えていくしかなかった。
久しぶりに、母に学校に通わせられなくてごめん、とあやまられて今日。
楽しい、楽しい、と帰ってきて、とても楽しかった話をテンション高く娘に聞かせて、そしてごめんね、と謝る母。
ごめんなさい、ごめんなさい、と私もあやまる。
今日一日、せめて眠るときまで楽しいままでいさせてあげられなくてごめんなさい。
こんな日に、私と会話さえしなければ、せめて、対話をしようなどと思わず、あいさつだけ済ませたら部屋に戻っていたら、そこまで母の気持ちを引き出すことなく、今日は楽しいままで終わらせることができたのに。
私がいるだけで、楽しい一日を楽しいままで終わらせることができず、楽しい楽しい同窓会に、楽しいと感じることすらどこかに引け目を感じねばならない母に。
ごめんなさい。
学校に通う事すらできなかった出来そこないで、ごめんなさい。
深夜四時。羽二重餅。
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ありがとう!
総会の話を聞いて開きました。ごめんなさい。
全教教研で「不登校」特設分会が初めて開かれた時参加。H子との2年間を報告した時、助言の横湯さんのコメント「緘黙といっても表情を観れば気持ちはわかる。」「本人が克服したと思う時に語り始める。」と寄り添う他者の性急さの危うさを指摘されたことをあらためてかみしめています。
Re:ありがとう!
開設一年未満の、対象がある程度限定されているブログの知名度など無きに等しき。
と思っているのですが結構見て下さっている方がいるようで作り手としては嬉しい限りです。
何かイベントごとの無い限り、記事を投稿しているのが私だけ状態なのが、私にはどうしようもないとはいえそこはかとなく申し訳なく(´・ω・`)
私も、症状として緘黙と言える状態なのかはわかりませんが、人との対話に著しい支障を感じていた時期があります。
でも、どうやって喋っていいのかわからないのに対話を要求された時の、表現しがたい不安や恐れや悲しさ、様々なものはきっと表情に出ていたでしょう。
あの状態の時に、それを隠して笑えてたとは到底思えません。
>「本人が克服したと思う時に語り始める。」と寄り添う他者の性急さの危うさを
寄り添う他者は、どこの誰でも急性で、全く急かない人は関心がさほどないのだとも思います。
抑えようとして抑えきれない急性さと、それを理解してしまうが故に応えられない己との葛藤。
悪いループだと理解していても、抜け出せたものではないですね。
私は今、語りはじめることが出来る時に来ている、と思っています。
語れる。でも同時に、語りはじめることで語ることの痛さ、恐ろしさも実感し始めています。
それでももう、いかなる形でも語るのを止められない。
昔は、語りはじめる時、語れるようになった時、私は前に進めるのだと思っていました。
でもどうやら、そうでもないようです。
ブログ本文か! っていうくらいなんだか書き込んでしまいましたが……
星の玉子さん、コメントありがとうございました。
初めに見たとき一瞬、星の王子さんなのかと思って、よく見たら、点が付いていたことに、クスっと笑わせていただきました。
星の玉子さん、どうぞまたいらしてくださいませ。
そしてそのうち、星の玉子さんからの投稿も期待しています^^
教科書
「今、ここにある危機」を実感しました。