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道民教のウェブページに付属する教育関係の方々、主に教員の方々の言葉を直接伝えるブログです。ちなみに管理人の羽二重餅は、教員ではありません!

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こんにちは、羽二重餅です。

今朝ご飯を食べながらテレビでニュースを流していたら、また学生の自殺があったそうですね。
13歳だったとか。
クラスにいじめがあったとか、教師が自殺をあおる発言をした、とか流れていました。

昨日、一昨日と教育に関する学会がありまして。
私は会員ではないのでボランティア枠でお手伝いすることでそれを見てきたのですが。
二日目の自由研究発表の分科会の中に、記憶に触れるものがありました。
不登校経験者の発表です。

書きたいところは一部なので全体像は省きますが、今朝がたニュースを見ていて思い出した部分があるのです。
発表者の方の発言でした。
不登校当時から何年もたっているから言えたのかもしれません。

「不登校してよかったこと、ありました?」
という質問に
「先生にもいろんな人がいてダメな人はダメなんだなと割り切れた」
と言っていました。

今なら私もわかります。
自分の担任、当時の学校の学校長。
その、言ってみればたった二人の姿だけで私は教師全体、学校そのものに対して不信を感じたんですよね。
でも今は教師との出会い直しもできていて、それが教師すべての姿じゃないのを感じています。

でも、「ダメな人はダメなんだ」と分かっていても、それが全部で全体ではないとしても、学生側からはぶっちゃけなーんにもできないんですよね。
ダメな先生を前にして、「ふっ、ダメな先生に当たったもんだなぁ……」みたいな諦観を持ったとしても(というか小中学生の時にそんな諦観をもって教師を見つめる子供とかやだなぁ)教師を変えることはできないんです。
いろんな人がみて、いろんな人が(あるいは同僚の教師までもが)変だよ!? と改善を申し立てる状況でも。
最初にクラスに対して担任が決まるとその制度は強固で、学年の途中では担任もクラスメイトも変更がききません。
もし、ちょっとずらせばきっとうまくいくのがわかっていても。
できません、なのかやりません、なのか。

子どもにできることは
 1、我慢して通う。
 2、通うのをやめて不登校になる

せいぜい二択でしょうか。
ぶっちゃけ選択の余地はない状況ですね。

これにいじめも重なったとしましょう。
教室の中で教員が味方になってくれないと、もう子どもに居場所はありません。

子どもにできることは
 1、我慢して通う。
 2、通うのをやめて不登校になる

どちらも過酷なんですよね。

もう一個、その発表者の方との質疑応答のなかで出た言葉があります。
「学校を離れることで選択することができる」

年齢的に学齢期でなくなり学校から物理的に離れても不登校の当事者のまま。
でも、学校を離れることで選択することができる。

そういう文脈だったかなぁ?
と思います。

でももうちょっと思うんです。
選べるはずの社会に出て、どうしてモラハラやパワハラ、過労などで自殺してしまうのだろうか。
選ぶ力を養う教育が足りないんじゃないかな、とか。
少年期の学校教育って、基本的に選ばせない教育が多いような気がします。
身を守るための選び方を封殺してる。
大人になっていきなり選べって言われても、わからないですよね。

不登校の子どもの事は目に見えてわかるので対策しようと思うでしょう。
実際必要だと思います。
上記に記した二択のうち、学校に通わないことを選んだ子どもの環境も結構大変です。
でも、そこで我慢して学校に通い続けることを選んだ子ども。
発表者の方は「不登校できない子ども」と表現されていました。
できないままに、過酷な環境の中で自ら命を絶ったり、あるいは他者に強制的に絶たれたりしている子どもたちがいる。

私が小中学生だった頃は、学校というのはあまりに大きな社会でした。
そこに所属し続けられないという事はどれほどの罪だろうかと思っていました。
通えて当たり前の学校に通えない私という、普通にさえなれない存在を両親に背負わせることに、酷い負い目を感じていました。
不登校になることが、社会通念的に非難されないことになれば。
不登校になっても行く先があるんだよ、ということを社会的に整備できれば。

不登校になった子どもたちへの対策、社会的な整備が広がることで、不登校、学校に通わないということが負の側面を持たずに(少なくとも今よりはずっと軽減して)学校に通わないということを選べるようになったらなぁ。
間接的に不登校出来ない子どもたちへも手を差し伸べることができるのではないか、と考えます。

命を懸けても選べない私たちを育て上げてきた社会がちょっとでも変わることを、願うしかないのでしょう。
学会に参加して思ったのは、選ばせたい勢力と選ぶ力を奪いたい勢力の水面下の争いでもあったような気がします。

おわり!




読めばワードで3ページ分。
書けば半日。
つくづく、単純に文章を書くという事と脳内に渦巻く何かを考えて練り上げつつ文章にするのが作業としての意味が違うと思います。
みなさん_| ̄|○))オツカレサマデス
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