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道民教ブログ

道民教のウェブページに付属する教育関係の方々、主に教員の方々の言葉を直接伝えるブログです。ちなみに管理人の羽二重餅は、教員ではありません!

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こんにちは、羽二重餅です。
1月9日の学習会だったのに、感想を掲載するのがそうとう遅くなってしまいました。
旬をお届けできなくて申し訳ない……。

体力の無さを実感する日々でございます。
ふた月ほど前から筋トレなど始めましたが、立ち仕事が楽になった実感はあれども、疲れやすさは変わらないな、というところです。
筋力ついても体力増えない!?

と、余談ばかり長くなりましたが本題の感想を!
まずは私から!


講師の加藤弘通さんは、いろいろなことを体験と統計とと交えて話をしてくださいました。
早口なんですが、とても聞き取りやすいので、とても濃密な内容の講義だったと感じました。
私が特に印象に残っているのは、「支援」と「タイミング」です。

子どもたちを支援、というと、常に寄り添って、みたいなイメージがありますが、支援は常にはいらないんだ、ということ。
私自身も覚えがあります。
不登校&引きこもり時代ながかったですから。
どうにもならないときにいろいろ支援されても、背中を押されてる、と言っても、いい意味ではなく、分厚くて巨大な壁に後ろから押されてつぶされそう、って感じなんですよね。
前にコンクリート壁、後ろからブルトーザーみたいな。
でも、自分の心と体に準備ができて、今なら大丈夫なんだけど、でも自分だけじゃ踏み出せないし、そういう状態にまで至ったことに自分では気が付いていない、そういう時なら、「支援」を受けると大きく踏み出せる。
その時には、以前からあった壁は、存在しないか、存在しててもハードル跳びみたいに「せいや!」で跳び越せるものになっているから、つぶされたりはしない。
支援が必要なタイミング、それを見計らうために、観察は必要なんだと思います。
でも、観察と寄り添いは完全なイコールではない。
加藤さんが話をしてくれた女の子、加藤さんを蹴飛ばして前髪つかんで振り回して、暴言を吐いて、といろいろあったようですが、その女の子も、自分のタイミングで、いま支援がほしい、という時に支援をすると、ちょっとの工夫は必要なんですが、ちゃんとあてはまるんですよね。
でも、支援員の側で、常に何かしようとしてても弾かれる。
しかもその女の子の、支援がほしいとき、というのは、女の子の側からサインはでていても、おそらくその子自身にとってはそんなサイン出していたことは無自覚なのではないかな、と。
ある意味でその「支援が欲しい」というサインも、何も考えずに見ていれば新しい問題行動にしか見えない。
でもそれは、「発達」したことで本人の状況が変わったため、今までのかかわり方ではままならないので出てきた成長のサイン、「問題行動」と言われるようなことでしか表せない不器用さ。
今までの対処ではどうにもならない「問題行動」が新たに出てきた、ということは、そこに新しい「発達」を見ることができる、ということ。
じゃあ、いまこそ「支援」の「タイミング」だ!

他にもいろいろと、発達と自殺の関係とか、成長と発達ってなに?とか。
「発達」が子どもたちを「自殺することを可能にする」ということについては、発達の良い面と悪い面の両方を教えていただいた気がしました。
「発達」するというと、いいことしかないような気がしていましたけど、言い方を変えれば「発達」って「変化」でもあるんですよね。
発達、って聞くとプラスイメージしかないですけど、変化には良くも悪くも両方あります。
当たり前ですよね、でも気が付かない。
子供の成長、発達の段階において、私たちの側も変わらないといけない。

また、こういう研究者でも自分の子どもとの関係はなかなかままならないんだなぁ、という一面を披露してくださって、会場が和やかな笑いに包まれたとき、ある種のプロでもこれならば、なれば一般人など言わずもがな。
と、世のお母さんたちが思えたらもっと子育てが楽にならないかな!
とか思ったり。

2時間はとても短い時間でしたがとても充実した内容の講演でした。
また機会があればぜひ聞きたいです。

加藤弘通さん、ありがとうございました。
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こんにちは、羽二重餅です。
今日は3名の方の感想を掲載させていただきます。





佳子先生の話はいつも聞かせていただいており、日常の授業を大切にする実践が素晴らしいなと感じています。
方法に偏らず「教育内容」をしっかり理解して実践をしたいです。
(生活教育所属)




子どもにとって学校生活の一番長い時間は「教科」なので教科経営を充実させるべきだというお話に共感しました。
でもなかなか、子どもが喜ぶような授業ができていなかったので、今回のお話では真似したいと思うところがたくさんありました。
特に、総合の授業で三笠という地域に根差して課題設定や問題解決に取り組み、最後は保護者の方を巻き込んで(保護者の方が調べたことを教室まで教えに来るなど)本当に子どもにとって「生きた学び」になっていることに驚きました。
一方的に話を聞くより、意味のある活動をさせたほうが子どもは喜びますね……。
また、「課題」を子どもたちにおろす時、山登りに例えて「登るところ」と説明しているところが、なるほど!と思いました。
(教員)




方法の工夫、内容の吟味、4月の最初に学べてよかったです。
今、目の前にいる子どもたちの実態に合わせた学びをより豊かにできる用にこれからがんばっていきます。
(教員)


こんばんは、羽二重餅です。

4月23日の春の学習会の講師は講師 前田 佳子 先生(空知管内小学校教師)でした。

私は事務側なので、ほぼ毎回学習会が開催されるとみていますが、今回のものはとくに、教員向けとしてだけでなく、我が子、孫子の教育時期にかかわる方々にとってもとても参考になるのではないかと、この学習会がより一般の方々にとって近くあればいいのにとより思う内容でした。

小学校の教員をやってらっしゃるので、基礎教育としての意味に触れていて、現行教育の教科書のこと、それに対しての子どもたちの反応、それで理解できるのかどうか、教育を施す教員のほうこそがより深く、その内容に関して知らなければならない、そのことの意味などが伝わってきたように感じました。

見聞きした後として言葉にしやすいこととしては、例えば練習帳などのマス目の大きさの中に文字を納められない子ども。
彼らがどうしてマス目のサイズまで書くことを小さくできないのか、とか。
一例としては、手首の柔軟性が足りないから肘から動かして書いているから挙動が大きくなる。
なので、文字の前にぐるぐると、まずは動かす練習からする。
目の挙動と手の動きを合わせられない子には、目と手の連動を訓練する。

そういう具体的な話と、講演を聞いてみて染みてくる感覚的な話。
この感覚的なものは、話を聞くことで伝えてもらっても、それをすぐ言葉にするのは難しいです。
まず自分の感覚として消化しないと言葉として再度人に伝えることができない。
なので、やっぱり聞きに行くしかないんだと思います。

教員だけでなく、今、子育てをしていて、我が子の育ちに戸惑いや、なんで、っていう思いを抱えているお母さんお父さんにとっても、とても必要なものだったように感じました。



乳児から幼児向けのものまでたくさんあり、とても勉強になりました。

 現在2歳児クラスの担任をしているので、今回学んだ少し幼児向けのわらべうたも普段の保育の中で取り入れていけたらなと思いました。また、主に乳児クラスしか保育で入ることはなく、ゴムとびはやりたくてもできる機会がなく初挑戦でした。
 リズムに合わせて足にゴムを掛けたり飛び越えたり、大人でも楽しいことを子どもがやったらどんなに盛り上がるのか、実際に子どもたちとやってみたいと感じました。

(大曲はだかんぼ保育園 保田)

子どもの作品を大切にする心を教えていただきました。
同じ詩でも、先生が大切に扱うことで、さらに素敵な作品になります。
詩に、先生が撮った雰囲気満天の写真を添えてラミネートされたものを見せていただきました。あんなに素敵な作品にしてもらったら、自分も詩人か何かになったような気分になって、自信がついちゃうなあと思いました。
また、感情カードや、あいうえおなど、目でみて楽しい教材もたくさん見せていただきました。子どもの「書きたい!」を作る工夫がたくさんあり、大変勉強になりました。

(札幌市立札苗緑小学校 千葉伊織)

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