道民教ブログ
道民教のウェブページに付属する教育関係の方々、主に教員の方々の言葉を直接伝えるブログです。ちなみに管理人の羽二重餅は、教員ではありません!
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こんばんは~、羽二重餅です。
今日は真面目に書いて不真面目に〆る予定です。
マジメ分野を書いているときに涙が流れるのは生理現象です。
↓↓↓↓↓
そういえば、前に某学会の後の懇親会にでた時に、スクールカウンセラーの方と話す機会がありました。
私が不登校経験からのパネリストとして話したことに、フリースクールとカウンセラーは行ったけど通えなかった、ダメだった、と言う話しをしたことに対して、なぜカウンセラーがダメだったのか、と尋ねられたのです。
ダメだ、と心のシャッターを下ろした理由は、その時話した限りでもいろいろありました。
一つに態度。
背もたれ付きの椅子に腰を前に出して斜めに座ってる姿に、今なら腰でも痛いのかねぇ、と思うところですが当時は私の話をちゃんと聞いてくれる気が無い人だ、という認識をしました。
聞く姿勢、ですね。
二つにメモ。
話を聞きながらメモを取るのはよくある話かと思いますが、その取り方に反感、反発?なんていうんでしょうか、イヤだな、って思いました。
私も自分がメモを取るときにはわかるんですが、聞いてから書くまでってちょっとタイムラグがあります。
でも、わからないんですよね、聞かれてる方は。
話してから書くまでに時間差があると、なんか不安になります。
なんか違う、私の訴えたかったこと、伝えたかったこと、この人ちゃんと聞いてくれているのだろうか、って。
また、私のかかったカウンセラーの方は、書いているメモをこちらに見えないように書く方でした。
10年もたってから高校の担任に、誰かの話を聞きながらメモを取るときは、丸見えにして書くか、あるいはいっそ何も書かないか、だと聞いてすごく納得しました。
繊細なお年頃の、さらに繊細な理由を抱えて訪なう子どもらの目線は厳しいです。
この人は私の話をちゃんと聞いてくれる人ではない。
そんな人に話したくもない話をして何の解決になるんだ。
って。
思いました。
最後に、これはカウンセラーの方自身に理由を求めるものではないものとして。
学校に行けないのは病気なんですか?
という感覚。
上に書いた二つももちろん影響がありました。
前提となるこの感覚が無くても、きっと心のシャッターおろしちゃう理由になっただろなと思います。
でもその前にもう一つ。
これはカウンセラーの方に対してではなく、カウンセリングをすすめる周囲の援助者に対して、でしょうか。
今でもカウンセリングを受けに行った帰り道を、母と二人で歩いたことを覚えています。
遠い場所にあったので帰りは夜になりました。
三つのマンホールが三角形に配置された道路の上で、もうカウンセリングに行きたくない、って。
カウンセリングで何か変わるんじゃないかという期待を寄せていただろう人に、伝えるときの言いづらさ。
学校にもたまにはスクールカウンセラーの人が来ていました。
月に数日くらい? いついつ来ます、と予告の紙が保健室に貼ってあったりしました。
でも、私は利用できませんでした。
学校に行くことがそもそもイヤでしたし、保健室に顔を出す事も出来ないシャイな子だったので。
というかそもそもそのころは対人的に、対話の方法がわからない、という状態だったので保健室なんて無理です。
不登校や学校生活に問題のある子を多く見ている先生、っていうふれこみではありましたが、病院のカウンセリングに私は行ったのでした。
それに対して、私は思っていたのです。
学校に行けないのは病気なんですか?
って。
母親に対して。
思いましたが、それは言えませんでした。
あなたの子供がいじめられました。
不登校になりました。
それだけで負い目なのに、さらにそんな娘を何とかしようと、いろいろと情報を集めて、どうにかしたいと行動する人に対して、私を病気だと思っているのかな、病気だと思いたいのかな、というような感覚。
伝えられませんでした。
実際今振り返れば、私の状態は病的でした。
グロかったです。
家族の皆さんへ、ごめんなさい。
でも当時は学校に行かないことを病気のように扱われるのが悲しかったです。
そんなもやっとした気持ちがあったなぁ、って。
「病気じゃないんだよお母さん」
って言いたかったです。
↑マジメパート終了
では不真面目パート余談
検査の採決日と結果聞く日を無意識に月を跨いだら初診料だけとられました。
血液検査の結果があまりにもよかったので献血に行こうと思ったら昼休みでした。
ミキサーで甘酒を作ろうと思ったら壊れました(´・ω・`)
ここのところ連チャンでブログを書いている羽二重餅ですが、メンタル的に余裕があるのだな、と感じています。
文章を書くと言うことはずーっと続けていますが、気持ちに余裕が無いと、まず書く気になれません。
しかも、どの余裕量だと何が書けるか、みたいなものがあって、これは書けても数年書けないものもあります。
もしかしたら、今回のこの余裕は、先週までの恐るべき飲み会週間に飲み過ぎて、というか散財しすぎて、9月までは出るもの無いからお誘い受けてもお断りだな!
と思ったからのものかも……。
誘いを断らない受け身な外向性も財布には勝てないから、が理由の精神的余裕だとしたら、切ない(ノ_・。)
でもやっぱり、嫌な飲み会も楽しくない飲み会も無いのに、放っておくと全部断る気がするしなぁ……。
今日は真面目に書いて不真面目に〆る予定です。
マジメ分野を書いているときに涙が流れるのは生理現象です。
↓↓↓↓↓
そういえば、前に某学会の後の懇親会にでた時に、スクールカウンセラーの方と話す機会がありました。
私が不登校経験からのパネリストとして話したことに、フリースクールとカウンセラーは行ったけど通えなかった、ダメだった、と言う話しをしたことに対して、なぜカウンセラーがダメだったのか、と尋ねられたのです。
ダメだ、と心のシャッターを下ろした理由は、その時話した限りでもいろいろありました。
一つに態度。
背もたれ付きの椅子に腰を前に出して斜めに座ってる姿に、今なら腰でも痛いのかねぇ、と思うところですが当時は私の話をちゃんと聞いてくれる気が無い人だ、という認識をしました。
聞く姿勢、ですね。
二つにメモ。
話を聞きながらメモを取るのはよくある話かと思いますが、その取り方に反感、反発?なんていうんでしょうか、イヤだな、って思いました。
私も自分がメモを取るときにはわかるんですが、聞いてから書くまでってちょっとタイムラグがあります。
でも、わからないんですよね、聞かれてる方は。
話してから書くまでに時間差があると、なんか不安になります。
なんか違う、私の訴えたかったこと、伝えたかったこと、この人ちゃんと聞いてくれているのだろうか、って。
また、私のかかったカウンセラーの方は、書いているメモをこちらに見えないように書く方でした。
10年もたってから高校の担任に、誰かの話を聞きながらメモを取るときは、丸見えにして書くか、あるいはいっそ何も書かないか、だと聞いてすごく納得しました。
繊細なお年頃の、さらに繊細な理由を抱えて訪なう子どもらの目線は厳しいです。
この人は私の話をちゃんと聞いてくれる人ではない。
そんな人に話したくもない話をして何の解決になるんだ。
って。
思いました。
最後に、これはカウンセラーの方自身に理由を求めるものではないものとして。
学校に行けないのは病気なんですか?
という感覚。
上に書いた二つももちろん影響がありました。
前提となるこの感覚が無くても、きっと心のシャッターおろしちゃう理由になっただろなと思います。
でもその前にもう一つ。
これはカウンセラーの方に対してではなく、カウンセリングをすすめる周囲の援助者に対して、でしょうか。
今でもカウンセリングを受けに行った帰り道を、母と二人で歩いたことを覚えています。
遠い場所にあったので帰りは夜になりました。
三つのマンホールが三角形に配置された道路の上で、もうカウンセリングに行きたくない、って。
カウンセリングで何か変わるんじゃないかという期待を寄せていただろう人に、伝えるときの言いづらさ。
学校にもたまにはスクールカウンセラーの人が来ていました。
月に数日くらい? いついつ来ます、と予告の紙が保健室に貼ってあったりしました。
でも、私は利用できませんでした。
学校に行くことがそもそもイヤでしたし、保健室に顔を出す事も出来ないシャイな子だったので。
というかそもそもそのころは対人的に、対話の方法がわからない、という状態だったので保健室なんて無理です。
不登校や学校生活に問題のある子を多く見ている先生、っていうふれこみではありましたが、病院のカウンセリングに私は行ったのでした。
それに対して、私は思っていたのです。
学校に行けないのは病気なんですか?
って。
母親に対して。
思いましたが、それは言えませんでした。
あなたの子供がいじめられました。
不登校になりました。
それだけで負い目なのに、さらにそんな娘を何とかしようと、いろいろと情報を集めて、どうにかしたいと行動する人に対して、私を病気だと思っているのかな、病気だと思いたいのかな、というような感覚。
伝えられませんでした。
実際今振り返れば、私の状態は病的でした。
グロかったです。
家族の皆さんへ、ごめんなさい。
でも当時は学校に行かないことを病気のように扱われるのが悲しかったです。
そんなもやっとした気持ちがあったなぁ、って。
「病気じゃないんだよお母さん」
って言いたかったです。
↑マジメパート終了
では不真面目パート余談
検査の採決日と結果聞く日を無意識に月を跨いだら初診料だけとられました。
血液検査の結果があまりにもよかったので献血に行こうと思ったら昼休みでした。
ミキサーで甘酒を作ろうと思ったら壊れました(´・ω・`)
ここのところ連チャンでブログを書いている羽二重餅ですが、メンタル的に余裕があるのだな、と感じています。
文章を書くと言うことはずーっと続けていますが、気持ちに余裕が無いと、まず書く気になれません。
しかも、どの余裕量だと何が書けるか、みたいなものがあって、これは書けても数年書けないものもあります。
もしかしたら、今回のこの余裕は、先週までの恐るべき飲み会週間に飲み過ぎて、というか散財しすぎて、9月までは出るもの無いからお誘い受けてもお断りだな!
と思ったからのものかも……。
誘いを断らない受け身な外向性も財布には勝てないから、が理由の精神的余裕だとしたら、切ない(ノ_・。)
でもやっぱり、嫌な飲み会も楽しくない飲み会も無いのに、放っておくと全部断る気がするしなぁ……。
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