道民教ブログ
道民教のウェブページに付属する教育関係の方々、主に教員の方々の言葉を直接伝えるブログです。ちなみに管理人の羽二重餅は、教員ではありません!
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道民教新春学習会2014 に行ってきました。
その前に行われていた道民教の会議に、ウェブ関連の人として顔を出して、すまっこの席でなんとなく緊張でドキドキしながら聞いていました。
会場は宮の沢にあるちえりあという、生涯学習支援センターでした。
私、昔そこに通っていたんですよね。
中学時代、学校を拒絶していたころに。
そこに到着したころはなんの郷愁も感じなかったのですが、会議と講演が終わって帰るとき。
とぼりとぼりとエレベーターに向かって歩いている途中、なぜかふっと強い郷愁が心のうちにやってきました。
私の通っていた場所を、見てみたくてしょうがない。
懐かしくて苦しい。
でも悲しくて痛い。
なんで?
全部終わって午後六時近くの事です。
もう、その場所に通じる自動ドアも動かないのを知っています。
エレベーターの横の館内マップを見て記憶をたどります。
そう。この講演の行われた階と同じ三階。
別館に行くための廊下をぬけて、その向こうに学校に居ない子どもたちがいた。
そして、きっと今でも毎週いるのだろう。
私もそうで、あの子もそうで、午前の自習、みんなでお昼ご飯。午後からはウノやトランプ、囲碁や卓球で遊んだりして。
でももう、マップを見て、この部屋だった、とか、ここで居たんだ、とか、何も言えなかった。
学習室、という名前の部屋にいた。
でも、それがAなのかBなのか覚えていない。
卓球をしたのは、その学習室の斜め向こうの部屋。
カウンセリングを受けたのは、中扉で二つの部屋がつながっている場所だった。
でも、どの位置だったか思えていない。
当時知っていた様々。忘れてしまった。
その時一緒にいた子たちの事も、数名を除いて名前も思い出せない。
呼び合っていたのに。
もやもやっとして、胸が苦しくて。
エレベーターの前の館内マップの前で腕を組み立ちつくし、その場所のあったほうに行ってみたくて踏み出しては戻りを繰り返し、迷った挙句扉の前まで行ってみてはやはり戻りを繰り返している……。
ずっと見ていたら変な人だっただろうなぁ……(たぶんだれもずっとはみていないはずだ!)
以前にちえりあに赴いたときはこんなじゃなかったなぁ、と思い、自分の精神状態に行き当たりました。
前日の遠友塾の新年会で、私、気持ちの糸プツン状態になってひじょーに……そういう状態でした。
アレです。ぶっちゃけていうと新年会というたくさんの人が居る状態の中でボロ泣きしました。
それが尾を引いているんだろうなぁ。
と、地下鉄の中で自己分析して、よし、書こう、とメモを取っていました(笑)
感情が体に反映されやすいので、こんかいもこのもやっとした郷愁が、吐き気に感じられてしばらくなんかくるしかったです。
居たんだな、ここに、と思いました。
中学校時代は適応できずにはじかれてしまって、でもここでも、なかなか適応できなかったんですよね。
午前の自習の時間だけでせいいっぱいで帰ってしまっていた時期もとても長かったです。
どうして午後の時間もその場所に居られるようになったのか。
きっかけは、誰かがお昼の時にこぼした飲み物を、一生懸命に拭いてた人がいたこと、だったかな。
私はその時、拭くの手伝います、という意思を通すことができませんでした。
手伝いたい、と体が椅子から浮き上がっても、畏れてしまって何もできなかったのです。
午前の時間は、みんな自分の定位置に座っていて、動きません。
一応名目上は学習の時間、だったので。
動かないので私はその子のことを知りません。
人数に対してとても広い場所に居ました。
だから、一人でテーブル一個分のスペースくらい余裕で確保できていました。
最初はそれが私にとって、まずは居続けるために大切なことでした。
隣同士が近すぎる場所にあの時は行くこともできなかった。
そのきっかけがあってから、私は、話をしたい、と思ったのです。
誰かがこぼした飲み物を、わざわざテーブルの反対側からかけつけてふき取っているそのこ。
すぐ隣にいたのに身動きもできなかった私。
いつのまにか、午後の時間をとても恋しく思うようになっていました。
その前に行われていた道民教の会議に、ウェブ関連の人として顔を出して、すまっこの席でなんとなく緊張でドキドキしながら聞いていました。
会場は宮の沢にあるちえりあという、生涯学習支援センターでした。
私、昔そこに通っていたんですよね。
中学時代、学校を拒絶していたころに。
そこに到着したころはなんの郷愁も感じなかったのですが、会議と講演が終わって帰るとき。
とぼりとぼりとエレベーターに向かって歩いている途中、なぜかふっと強い郷愁が心のうちにやってきました。
私の通っていた場所を、見てみたくてしょうがない。
懐かしくて苦しい。
でも悲しくて痛い。
なんで?
全部終わって午後六時近くの事です。
もう、その場所に通じる自動ドアも動かないのを知っています。
エレベーターの横の館内マップを見て記憶をたどります。
そう。この講演の行われた階と同じ三階。
別館に行くための廊下をぬけて、その向こうに学校に居ない子どもたちがいた。
そして、きっと今でも毎週いるのだろう。
私もそうで、あの子もそうで、午前の自習、みんなでお昼ご飯。午後からはウノやトランプ、囲碁や卓球で遊んだりして。
でももう、マップを見て、この部屋だった、とか、ここで居たんだ、とか、何も言えなかった。
学習室、という名前の部屋にいた。
でも、それがAなのかBなのか覚えていない。
卓球をしたのは、その学習室の斜め向こうの部屋。
カウンセリングを受けたのは、中扉で二つの部屋がつながっている場所だった。
でも、どの位置だったか思えていない。
当時知っていた様々。忘れてしまった。
その時一緒にいた子たちの事も、数名を除いて名前も思い出せない。
呼び合っていたのに。
もやもやっとして、胸が苦しくて。
エレベーターの前の館内マップの前で腕を組み立ちつくし、その場所のあったほうに行ってみたくて踏み出しては戻りを繰り返し、迷った挙句扉の前まで行ってみてはやはり戻りを繰り返している……。
ずっと見ていたら変な人だっただろうなぁ……(たぶんだれもずっとはみていないはずだ!)
以前にちえりあに赴いたときはこんなじゃなかったなぁ、と思い、自分の精神状態に行き当たりました。
前日の遠友塾の新年会で、私、気持ちの糸プツン状態になってひじょーに……そういう状態でした。
アレです。ぶっちゃけていうと新年会というたくさんの人が居る状態の中でボロ泣きしました。
それが尾を引いているんだろうなぁ。
と、地下鉄の中で自己分析して、よし、書こう、とメモを取っていました(笑)
感情が体に反映されやすいので、こんかいもこのもやっとした郷愁が、吐き気に感じられてしばらくなんかくるしかったです。
居たんだな、ここに、と思いました。
中学校時代は適応できずにはじかれてしまって、でもここでも、なかなか適応できなかったんですよね。
午前の自習の時間だけでせいいっぱいで帰ってしまっていた時期もとても長かったです。
どうして午後の時間もその場所に居られるようになったのか。
きっかけは、誰かがお昼の時にこぼした飲み物を、一生懸命に拭いてた人がいたこと、だったかな。
私はその時、拭くの手伝います、という意思を通すことができませんでした。
手伝いたい、と体が椅子から浮き上がっても、畏れてしまって何もできなかったのです。
午前の時間は、みんな自分の定位置に座っていて、動きません。
一応名目上は学習の時間、だったので。
動かないので私はその子のことを知りません。
人数に対してとても広い場所に居ました。
だから、一人でテーブル一個分のスペースくらい余裕で確保できていました。
最初はそれが私にとって、まずは居続けるために大切なことでした。
隣同士が近すぎる場所にあの時は行くこともできなかった。
そのきっかけがあってから、私は、話をしたい、と思ったのです。
誰かがこぼした飲み物を、わざわざテーブルの反対側からかけつけてふき取っているそのこ。
すぐ隣にいたのに身動きもできなかった私。
いつのまにか、午後の時間をとても恋しく思うようになっていました。
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新年、明けましておめでとうございます。
あたらしい年の幸いなることに言祝ぎ申し上げます。
昨年度もいろいろありました。
今年度もいろいろあることでしょう。
昨年度はいろいろな方の助けを借りました。
今年もさまざまな方にお世話をかけることになるでしょう。
どんな何かがあったとしても、昨年を無事に生き抜き、新しい年を皆様と喜びの言葉を以って迎えられることを、何よりの幸いと思います。
ありがとうございました。
今年もまずは一年。
大病なく健やかに、皆様と共に在れることを願います。
管理人@羽二重餅
あたらしい年の幸いなることに言祝ぎ申し上げます。
昨年度もいろいろありました。
今年度もいろいろあることでしょう。
昨年度はいろいろな方の助けを借りました。
今年もさまざまな方にお世話をかけることになるでしょう。
どんな何かがあったとしても、昨年を無事に生き抜き、新しい年を皆様と喜びの言葉を以って迎えられることを、何よりの幸いと思います。
ありがとうございました。
今年もまずは一年。
大病なく健やかに、皆様と共に在れることを願います。
管理人@羽二重餅
やってまいりました毎年恒例学習会。
道民教のウェブページ本体の方にも掲載しますが、ブログのほうが恐らく閲覧者が多いのでこちらにも掲載です。
道民教新春学習会2014
「学力向上対策」は学校・家庭・地域をどう変えていったのか
~道民の学び合いの原点を見つめなおす~
講師:井上大樹
とき:2014年 1月13日 14:30~17:00
場所:札幌市生涯学習センター ちえりあ 研修室6
参加費:500円(資料代)どなたでも参加できます!
詳細については、下記よりPDFファイルのダウンロードをお願いします。
ファイルを取れないという方は、ウェブページより直接お問い合わせください。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ダウンロード
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
小さく掲載↓
wordでダウンロード
道民教のウェブページ本体の方にも掲載しますが、ブログのほうが恐らく閲覧者が多いのでこちらにも掲載です。
道民教新春学習会2014
「学力向上対策」は学校・家庭・地域をどう変えていったのか
~道民の学び合いの原点を見つめなおす~
講師:井上大樹
とき:2014年 1月13日 14:30~17:00
場所:札幌市生涯学習センター ちえりあ 研修室6
参加費:500円(資料代)どなたでも参加できます!
詳細については、下記よりPDFファイルのダウンロードをお願いします。
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第46回北海道家教連冬季研究会のお知らせです。
日程は1月8日。
参加費2000円。
詳しくは下記よりダウンロードしてご確認ください。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
PDFでダウンロード
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↓、jpgをサムネイル表示させています。
原寸はとっても大きいのでご注意くださいませ。
日程は1月8日。
参加費2000円。
詳しくは下記よりダウンロードしてご確認ください。
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PDFでダウンロード
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↓、jpgをサムネイル表示させています。
原寸はとっても大きいのでご注意くださいませ。
母は、私に中学高校を通わせられなかったことを、たまに泣きながら懺悔する。
ごめんなさい、ごめんなさい、と、そんなこと言われてもしょうがないのにふと思い出したように、たまに言われる。
楽しい、楽しい、あのころのメンバーと会うのが楽しい! と同窓会から帰ってきて、ふと、ごめんなさい、ごめんなさい、あなたを学校に通わせられなくてごめんなさい、と泣きながらあやまる。
私は、学校に通えなくなったことを母のせいとも父のせいとも思っていない。
そう本心から思って、そう伝えても、その言葉は母の気持ちには響かない。
ごめんなさい、ごめんなさい。
謝られる私はどうしたらいいのだろう。許す、とでも言えばいいのだろうか。何を許すのかもわからないのに。
そして、私に楽しい楽しい同窓会をする機会がもう永遠に来ないのだと思うと、自分が同窓会で楽しい、楽しい、と思いながら帰ってくることすら申し訳ないのだと嘆くのだ。
もっと何かすれば、もっともっと何かしていれば、私は中学に通えて、普通高校に通えていたのではないかと母が悔やむ。
仕事の無い日や仕事あがりに、学校に私の様子を見に行く、教室で、私が誰にいじめられているのか、いじめられないように見に行く、と気焔を吐いた父を止めたのは私だった。
そして、母だった。
止めた理由は二人とも一緒だ。
それをしたら、私が通うのがもっとつらくなる。
でも母は今それをも悔やむ。
あのころ、止めなければ、いや、自分が積極的にもっと学校側に対してがっつり行動していればもしかして。
ぶつかり合う事もあるけれど、でもたくさんの記憶を共有できる同級生たちと、何年も、何十年もたってから、久しぶりに対面して、ああ懐かしい。あのころはああだったね。こうだったね。実はあなたの事をこう思っていたんだよ、ええ、知らなかった!
って。きっとお前も言い合うことができたんだ、出来たはずなのに、と、嘆く。
正直、教師が頼りにならない学校の、あの教室の中で親に何ができたのだろうと今でも思う。
いじめいじめと声高に叫ばれ始めて、いじめ防止法案なんてものまで出てきて、そんなものが出来たってあの教室のなかで私は居ることができないだろう。
法案に基づいて対策がなされたって、私はなされたあとの教室になじんでそこで生活していける気がこれっぽちもしないのだ。
今だって、年間何人の生徒が自殺しているのだろう。
いじめは死ぬまで放置されるか、何とかしようと思った人がいても、改善されないまま結局誰かが死んで、その死んだ子はクローズアップされて問題視されても、生徒が死んだ学校で、他の教室の、他の学年で起きているいじめは、不登校は、それで何かよくなっているんだろうか。
あるいは学校に焦点があたることで当事者に対して学校側が、改善の姿勢を示すために無理強いをして何かが良くない方向に動くことさえあるのではないだろうか。
そして昼間の学校に通えなくなった子に、数十年ぶりと会って、楽しい、楽しいと思える同級生が居ない我が子に、親は何の負い目を感じるのだろう。
私が居なくなったころはもう、あの教室から主犯格が居なくなったからと言って、私にとって戻れるような場所ではなかった。
教師は信を置くに値せず、私は同級生をはじめとした人に対して話しかけ方がわからなくなる、という対人関係をつくるのにとてもとても大変な状態になっていた。
どうしようもなく、私は消えていくしかなかった。
久しぶりに、母に学校に通わせられなくてごめん、とあやまられて今日。
楽しい、楽しい、と帰ってきて、とても楽しかった話をテンション高く娘に聞かせて、そしてごめんね、と謝る母。
ごめんなさい、ごめんなさい、と私もあやまる。
今日一日、せめて眠るときまで楽しいままでいさせてあげられなくてごめんなさい。
こんな日に、私と会話さえしなければ、せめて、対話をしようなどと思わず、あいさつだけ済ませたら部屋に戻っていたら、そこまで母の気持ちを引き出すことなく、今日は楽しいままで終わらせることができたのに。
私がいるだけで、楽しい一日を楽しいままで終わらせることができず、楽しい楽しい同窓会に、楽しいと感じることすらどこかに引け目を感じねばならない母に。
ごめんなさい。
学校に通う事すらできなかった出来そこないで、ごめんなさい。
深夜四時。羽二重餅。
ごめんなさい、ごめんなさい、と、そんなこと言われてもしょうがないのにふと思い出したように、たまに言われる。
楽しい、楽しい、あのころのメンバーと会うのが楽しい! と同窓会から帰ってきて、ふと、ごめんなさい、ごめんなさい、あなたを学校に通わせられなくてごめんなさい、と泣きながらあやまる。
私は、学校に通えなくなったことを母のせいとも父のせいとも思っていない。
そう本心から思って、そう伝えても、その言葉は母の気持ちには響かない。
ごめんなさい、ごめんなさい。
謝られる私はどうしたらいいのだろう。許す、とでも言えばいいのだろうか。何を許すのかもわからないのに。
そして、私に楽しい楽しい同窓会をする機会がもう永遠に来ないのだと思うと、自分が同窓会で楽しい、楽しい、と思いながら帰ってくることすら申し訳ないのだと嘆くのだ。
もっと何かすれば、もっともっと何かしていれば、私は中学に通えて、普通高校に通えていたのではないかと母が悔やむ。
仕事の無い日や仕事あがりに、学校に私の様子を見に行く、教室で、私が誰にいじめられているのか、いじめられないように見に行く、と気焔を吐いた父を止めたのは私だった。
そして、母だった。
止めた理由は二人とも一緒だ。
それをしたら、私が通うのがもっとつらくなる。
でも母は今それをも悔やむ。
あのころ、止めなければ、いや、自分が積極的にもっと学校側に対してがっつり行動していればもしかして。
ぶつかり合う事もあるけれど、でもたくさんの記憶を共有できる同級生たちと、何年も、何十年もたってから、久しぶりに対面して、ああ懐かしい。あのころはああだったね。こうだったね。実はあなたの事をこう思っていたんだよ、ええ、知らなかった!
って。きっとお前も言い合うことができたんだ、出来たはずなのに、と、嘆く。
正直、教師が頼りにならない学校の、あの教室の中で親に何ができたのだろうと今でも思う。
いじめいじめと声高に叫ばれ始めて、いじめ防止法案なんてものまで出てきて、そんなものが出来たってあの教室のなかで私は居ることができないだろう。
法案に基づいて対策がなされたって、私はなされたあとの教室になじんでそこで生活していける気がこれっぽちもしないのだ。
今だって、年間何人の生徒が自殺しているのだろう。
いじめは死ぬまで放置されるか、何とかしようと思った人がいても、改善されないまま結局誰かが死んで、その死んだ子はクローズアップされて問題視されても、生徒が死んだ学校で、他の教室の、他の学年で起きているいじめは、不登校は、それで何かよくなっているんだろうか。
あるいは学校に焦点があたることで当事者に対して学校側が、改善の姿勢を示すために無理強いをして何かが良くない方向に動くことさえあるのではないだろうか。
そして昼間の学校に通えなくなった子に、数十年ぶりと会って、楽しい、楽しいと思える同級生が居ない我が子に、親は何の負い目を感じるのだろう。
私が居なくなったころはもう、あの教室から主犯格が居なくなったからと言って、私にとって戻れるような場所ではなかった。
教師は信を置くに値せず、私は同級生をはじめとした人に対して話しかけ方がわからなくなる、という対人関係をつくるのにとてもとても大変な状態になっていた。
どうしようもなく、私は消えていくしかなかった。
久しぶりに、母に学校に通わせられなくてごめん、とあやまられて今日。
楽しい、楽しい、と帰ってきて、とても楽しかった話をテンション高く娘に聞かせて、そしてごめんね、と謝る母。
ごめんなさい、ごめんなさい、と私もあやまる。
今日一日、せめて眠るときまで楽しいままでいさせてあげられなくてごめんなさい。
こんな日に、私と会話さえしなければ、せめて、対話をしようなどと思わず、あいさつだけ済ませたら部屋に戻っていたら、そこまで母の気持ちを引き出すことなく、今日は楽しいままで終わらせることができたのに。
私がいるだけで、楽しい一日を楽しいままで終わらせることができず、楽しい楽しい同窓会に、楽しいと感じることすらどこかに引け目を感じねばならない母に。
ごめんなさい。
学校に通う事すらできなかった出来そこないで、ごめんなさい。
深夜四時。羽二重餅。
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