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道民教ブログ

道民教のウェブページに付属する教育関係の方々、主に教員の方々の言葉を直接伝えるブログです。ちなみに管理人の羽二重餅は、教員ではありません!

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 私は中学校の卒業式を知りません。
 中学校には、ほとんど通っていなかったからです。
 卒業式の翌日に、校長室に呼ばれてそこで卒業証書を受け取りました。
 そして私は中学校に通った実績がないのに形式上は卒業扱いとなりました。

 幼稚園の頃からいじめられっこの傾向はありましたが、幼稚園にはいじめられているのを見つけると間に入ってくれるヒーローが居ました。
 小学校の頃はどうしても堪えられなくなっていちにち休むと、雰囲気が変わっていました。あとで友達に聞くと、先生が動いてくれていたそうです。
 中学校のとき、私はやはりいじめられ、不登校になりました。
 そのときに、学校や教職員の隠蔽したがっている雰囲気や、私を、不登校状態になった私に対して面倒くさい腫れ物として扱う雰囲気に出会い、教職員に対して「先生」と呼ぶことに、とてもためらいを覚えるようになりました。

 形式卒業してすぐに、通信制の高校の入学手続きをしました。
 高校だけは何とかでておけ、と言われ続けていました。
そんななかで、登校日は年間30日程度と少なく、事務的な用事以外はまったく話さなくても何とか終えられるだろうと予測の立てられる学校だったので、私にとって都合がよかったのです。
 5年通い、その途中からは学校が楽しくて楽しくてたまらなくなっていました。それでも、中学時代の経験がゆえに、誰かと喋る時に言葉が出てこなくなるなど、人とコミュニケーションをとることに支障をきたすようになっていた当時の私には、救いのようでした。
 そんな学校でも、入学式の日に、ゴスロリやパンクファッション、痛々しいほどのピアスに派手な金髪をトゲトゲにした髪形などの入学生を見て、怖じ気てしまい、それから6年間、通えなくなっていました。

 ある年、ふとあまり抵抗も無く学校に通えていました。
 毎年、手続きをして教科書を全部揃えていざ! というところまで来て通えなくなったり、そもそも手続きの時点で今年はもうだめだ……と休学の手続きをしてしまったりして6年も通わずに居た学校に通えていました。
 それは、私が遠友塾に第18期生として入学した年と同じ年でした。
 行ってみた学校は、あんなに印象的だったゴスロリやパンクファッション、やんキー、不良のような人というのは意外と少なく……おじさん、おばさん、おばあちゃん、小中学校を病気で通えなかった子や、私のような理由の子、経済的に余裕が無くて、学校の無い日はバイトばかりの子など、意外と怖くありませんでした。
 私が不登校になったのは、誰かももう覚えていない、女性の集団からのいじめでした。そういう年頃の子がとても少ないことに、心底ほっとしていました。
 遠友塾も、周囲が年上の方々ばかりで、私にはとても助かりました。
 当時のことを知っている私の遠友塾の同期生の方は、「あの頃は怖い顔をしていて、とても話しかけられる雰囲気じゃなかった」といいます。
 どれほど緊張していたのか、スタッフになってから、私に後ろから話しかけては成らない、という決め事もあったと聞いて、今では笑い話にできます。

 いじめられてる私は自分に自信がありません。いじめられている娘で申し訳ない、という思いで親にも言うことができませんでした。そのうち追い詰められ、自傷行為をするに至り、家族にばれました。
 不登校は私の負い目です。
 その当時、家のご近所の方と会うのが辛かった。どうしても、「こんにちは、いい天気ですね」の後には「最近どう? 何してるの?」という言葉が続くことが多かったからです。
 当時、自転車で出かけてるときに、自分の中学の制服を見ると、バカみたいにかっ飛ばして通り過ぎていました。
 6年間高校に通えなかった頃は、次の年度の手続きをしなければ成らない時期になると、母親に「あんた来年どうすんの!」と、何度も言われるのが何よりも気が重かったです。

 それでもなんとか遠友塾や高校を通いながら、コミュニケーションの訓練をし、不登校への負い目にもいろいろな価値観を知ることで折り合いを付けてきました。
 強がりの部分もありますが、今は昔のことを聞かれたら「いじめられて不登校になって、中学は形式卒業なんですよ~。だから中学校はほとんど通っていないんです」と話せるようになりました。

 でも、時折どうしようもなく気持ちがぐちゃぐちゃに成るときがあります。

 同窓会に出かけた母が、とても楽しそうに帰ってきます。
 何十年も前の中学校の同期、高校時代の同期に久しぶりにあって、お酒を飲みながら何時間でも止まらないおしゃべりをして、家で出迎えた私が「同窓会、どうだった?」と聞くと、「ああ楽しい、楽しかった楽しかった」と言って帰ってきます。
 そして、しばらくすると泣き始めます。
「ごめんね、ごめんね。私すっごく楽しいのに、あんたには同窓会も、同じ年齢の友達も体験させてやれなくて、ごめんね、ごめんね……」
「気にしてないよ。みんなと同じじゃなくても私ちゃんと生きてるもん」
 そう言って慰めながら、楽しい話を聞かせてもらいに来たのに、なぜこうなったのだろうかと、楽しく楽しく帰ってきて、その日の終わり一日すら、私の経歴は母を楽しいままでいさせてやれない。不登校なんてものになってしまった私がいけないんだろうかと、考えます。私が、普通の子だったなら……。

 私が不登校になったために、二年下の妹は、「あ、あの羽二重餅の妹だ」と指差されたりと、苦労もさせたようでした。
 その妹は、中学校を普通に卒業して、普通に高校受験をし、普通に高校に入り、夜間部ですが大学を卒業し、そして就職しました。
 3年間本州で勤め、北海道に帰ってきた妹は、小学校や中学校からの友人、高校時代の同級生や、大学時代に縁があった方々に会うのだと、ちょくちょく出かけていきます。
 私には私の人間関係があり、学生時代の知り合いだけが全てじゃないからいいんだよ、と思う反面、うらやましくなることも、あります。

 私の通っていた高校は、年齢の幅が広く、様々な年代の方々と友達になることで新しい世界が開けることもありました。
それが救いになった反面で、同年代の友人、というものは求められません。
大学になれば普通に年齢がバラけるものだ、その上で友人ができる、としても、私は今、大学の奨学金を自分で背負える自信がありません。
普通に、普通の年頃に高校を卒業して大学に進学していたらおそらく得られたであろう親の支援も、もう望めません。


今でも同じ年齢の女性の集団に囲まれると、パニックに陥ります。
 ふとした瞬間に、私の脳みそはコミュニケーションの方法を全て忘れるようで、数秒ですが困ることがあります。
 完全に引きこもっていたわけではありませんが、不登校、引きこもりと言われた日々は私から気力と体力の上限を削り取りました。
家族以外と言葉を交わさない日々は長く、一日中家に居ることもある、そんな日々は、中学・高校の不登校時代を足して9年。
 不登校を脱出して、高校や遠友塾に通い始めてからも、すっかり体力が落ちていたので一日通うと一日潰れていたりして、一歩も外に出ない日が結構ありました。

 誰かと共に行動し、笑いあうことを取り戻した証のようで、遠友塾の卒業の日はとても特別な日でした。
 そんな特別な三年間を経ても、じっとしていた時期に失った体力や、中学時代にもろくなった精神力が私の行動を制限します。
 普通じゃなくてもいいんだ、普通なだけが全てじゃない、と思いながらも、当たり前のようにみんながやっている、学校に通う、という普通すらできなかった自分、という思いに捕まります。
 気持ちも行ったりきたり。

 遠友塾に入ってからの数年、私がぐんぐん変わる事ができた時期は、いつか普通を越えていける気がしていました。
 今は、足踏みです。

 年はとるし、今度は年齢がために体力は落ちるし、ゆっくりでも良いからやろう、という気持ちとは裏腹にあせるばかりです。


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これ以上先に記述は無い。
どうやら完成されていないようだ。
羽二重餅は第二の修羅場を迎えている!



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